April 2010
デザイナー(designer)
- アーティストに対する最大限の侮辱。
- 芸術家としてのモラルを捨て、消費資本主 義に心を売った人のこと。
- 例:「やっぱりデザイナーのつくるものは誰に対しても魅力的ですね」
アーティスト(artist)
- デザイナーに対する最大限の中傷。
- 社会との接点を捨て、なりふり構わない表現をする 自分勝手な人のこと。
- 例:「あなたはひょっとしてアーティストが向いているのではないでしょうか?」
エンジニア(engineer)
- 科学者に対する最大限の誹謗。
- 学術的な高みをあきらめ、イノベーションや合理化
という卑猥な目的のために技術を使う人のこと。
- 例:「君のようなエンジニアに新商品の開発を任せたいと思っているんだよ」
科学者(scientist)
- エンジニアに対する最大限の嫌味。
- 利用目的やフィージビリティを考えず、やみくも に自分の興味ある実験や理論展開を行う人のこと。
- 例:「まるで科学者の方と話しをしているみたいでワクワクします、何でも出来る気がし てきました」
概要:
- 最近の大学生は、ますます計算機を学習することに興味を失ってきている。
- 彼らにとって、パソコンも携帯もPS3も、すでに「あたりまえ」のことである。それの何がすごいの?
- なんとか興味をひこうと教科書をいろいろ見てみたが、 ほとんど「幼稚園のお遊戯」なみの例題か (“クマさんの数をかぞえよう!”など)、 あるいはゲームしか載っていない。
- なんとか彼らの社会的な興味を引きだそうと、あたらしい授業を考え出した。
- その授業とは、障害者をつれてきて学生に会わせ「コンピュータを使って、 彼らの生活を改善してくれ。できなかったら落第。」というものだった。
- 学生たちは、おそろしく熱心に取り組み始めた。
- もはや誰も二次元配列操作を、つまらない例題とみなす人はいなくなった。 なぜなら、それが現実の問題を解くのに使えるということを彼らは知ったからである。
もちろん、この話はあまりに単純化されすぎている。 現実はこんなに甘くない (世の中には、問題を解くつもりで、逆に問題を増やしてしまう人々も沢山いるのだ)。 それでも、この記事には、普段の生活であまりに簡単に忘れられてしまいがちな、 あるひとつの信念が述べられている。それは 「計算機科学は、人の役に立てる」ということだ。 青臭いと言われようが、オレは何度でも言うぞ。 計算機科学は、人の役に立てる。しかも、ものすごく直球なやり方で、である。
もともと、工学というものは最初から社会的な学問だった。 政治や経済と同じくらい社会的だ。しかし、いまの日本で その社会性をきちんと理解している人がどれだけいるだろうか? (新山だってよく理解していない) ところで思うのだけど、みずから医学部や看護学部に (親に行かされるのでなく) 志願して行くような人は、その学問の 「社会性」というものをすこしは認識していそうである。しかし工学部へ、とくに 情報系の分野へ行く連中はどうなのか。ただひたすら「オモチャをいじっているのが楽しい」 だけの人が多いんじゃないか? アホな連中が、やれ facebook だ twitter だ cloud だ、と騒ぐのを見て、 新山が圧倒的に「…どうでもよろ」という気分になってしまうのは、しょうがない。 そんなものは、しょせん「問題のための問題」であって、誰のためにもならないからだ。 練習問題をやっているだけでは世の中は良くならないのである。
まえに Siegel がいっていたように、“工学の女王”である計算機科学は、 未分化な細胞の塊のようなもんだと思う。これは、それ自体では何もできないけど、 方向が定まればどんな形の花でも咲かせることができる — そう新山は信じている。 上の記事にはその見方が明確に示されている。学生に与えられた指令は “Find someone or something in trouble and save it. (何か問題となっている人・モノをみつけて、行ってそれを救いなさい)” というものだ。なんてカッコいいんだろう! 新山はこういう「カッコよさ」に憧れる人は沢山いるだろうと思っている。 将来ほんとうに計算機科学を身につけてほしい人々というのは、 実はこういう社会的な視点をもった人々だ。 C++でアクロバティックなコードを書ける子供などではなく。
” —2009/4 (a) (via chez-sugi) (via kml) (via otsune)2009-04-14 (via gkojay) (via aso) (via yuco) (via kuriz) (via kondot) (via cr96) (via wfsp) (via eternie) (via moccai)
” —Twitter / 白のり (via moccai)努力が報われない浪人生
@TakamiChie: WILLCOMは
@moccai:
@Microsofton: docomoは才能を活かしきれてない大学生。auは才能を見失ってる高校生。Softbankは才能が無いのに見栄を張る中学生。EMobileはまだまだ小学生
もし、司会者が正解を知らないとしたら、参加者が選びなおさなかった場合、以下のパターンがありえます。
ケース1)参加者が選んだ箱が正解だった。参加者の勝ち。(確率 1/3)
ケース2)司会者が交換を薦めた箱が正解で、司会者の勝ち。(確率 1/3)
ケース3)司会者が交換を薦める過程で、開いてみせる箱が正解でどっちらける。(確率 1/3)
しかし、司会者は正解を「知っている」ので、ケース3はありえないのです。ケース3は2に含まれてしまいます。つまり、これは参加者が1つ、司会者が2つ箱を取るゲームでもともと参加者の勝率は33%、司会者の勝率は66%なのです。
「ひとつ箱を開ける動作」はブラフであり、意味のない動作です。司会者は「君の1つ、私の2つを交換しようか?」と言っているも同然なのです。
当然数が多いほうが確率が多い。それがこの問題の肝です。” —
納得してしまった。
(via monoqlo)
femm:
“私たちは次の変更を行えば、WindowsでiTunesを配布してよいとしました。
* AppleはWindows上で動作する専用のiTunesを、WindowsのコンパイラをWindowsの言語だけで書かなければならない
* Appleは、ウィンドウシステムやスクロールオブジェクトを作るなど、Windows生粋のコントローラを利用しなければならない
* Appleは一度書いたコードを複数のオペレーティングシステムで展開する馬鹿げた態度をやめなければならない。要するにそういうことはダメだ。もし、Appleが簡単な規則に従うことができれば、MicrosoftはWindowsでiTunesを動かすことを許可するでしょう。」とのことであったという。
もちろん、これはiPhone OS 4 SDKの規約3.3.1項を皮肉った笑い話である。”
うまい。
良いこと書いてるけど、長すぎて読まれないのでは。
http://ja.wikipedia.org/wiki/略語
「うすと」 より 「ゆーすと」が良い
まだ完成度の低いスマートフォン向けアプリを公開することは企業、ユーザにとって以下の害悪があると思います。
- Webサービスと違いスマートフォンアプリはアップデートの恩恵を全ユーザが受けることができるわけでない。一度、完成度の低いアプリをリリースした場合、一部のユーザはその完成度の低いアプリを長い時間使う可能性がある。
- そもそもスマートフォンアプリのアップデートはすべてのユーザにとって快適な作業ではない。ネットワークが必要だし、一定の空き時間が必要になる。
- 完成度の低いアプリにはまったときに、その原因がWebサービスよりもさらにわかりにくい。通常はエラーメッセージがでることもなくクラッシュする。